坪内政美×コトコト「 駅からはじまる、ちいさなものがたり― 新見の鉄道、ゆっくり入門 ―」
(更新)

駅舎って大事なんですよ
ー坪内さんの言葉
8月某日。
新見市鐡道アドバイザーの坪内政美さんと、JR備中神代駅の取材に向かう。
駅を堪能した帰り道、思い描いたメインテーマは「せつない駅」だった。
趣きある木造から、バス停のような小さな佇まいに姿を変えた駅舎。
雨風に打たれながら、ホームに置かれた椅子。
朽ちた枕木が続く芸備線の線路。
汗が噴き出す8月の日差しの中で、さらにその“せつなさ”が強調されているように感じ、この言葉しか思い浮かばなかった。

…しかし、この数日後。
“せつない駅”は、色彩をまといカラフルになった。
(開催期間:2026年9月1日~10月12日)
取材をした数日後。
岡山県主催の「おかやまハレいろキャンペーン2026」として、倉敷発祥のマスキングテープブランド「mt」とコラボした「mt project 新見」が開始された。
それにともない、「備中神代駅」も、期間限定ながらカラフルに変身することを知ったのだった。
まじかっ!!
どんな駅舎になったのか見に行かねば。
数日後、備中神代駅に着いてみるとーーピンクと赤の駅舎になっていた。

入り口。「mt駅」に名前が変わっている!
この駅を、“せつない駅舎”って紹介しようと思っていたんだけどな。
カラフルな「mt駅」を見ながら、しばし途方に暮れた。

2番ホームからも撮影してみた
数日後。
さて、どうしよう…。
駅舎のことを思い出しながら、記事を書く。ふと「駅舎って時間を積み重ねているんだな」と思った。
過去を消して新しくするんじゃなくて、古い時間の上に新しい時間を重ねていくような。
時代や利用される人たちによって、駅は姿を変えてきた。今回、観光プロジェクトによって、新しい時間が加わった。ただそれだけ。
「駅舎は大事なんですよ」
坪内さんの言葉を思い出した。
駅舎は、変化する時代を、ただそこにいて、ずっと見てきているだけなのかもしれない。
そんなことをぼんやり考えながら、もう一度備中神代駅のことを思い出す。
─変わっていく駅 備中神代駅

駅舎は、1928(昭和3)年10月の開業時のもので、趣のある木造平屋建て。駅員も常駐でいました。
渥美清が金田一に扮し1977年(昭和52年)に公開された映画「八つ墓村」では、備中神代駅が登場。主人公の青年(萩原健一)が八つ墓村に向かうべく、降り立ったのが備中神代駅です。

2006年2月、坪内さん撮影
映画公開から24年…。
2001(平成13)年1月、木造駅舎は、門構えのみを残し解体されました。
ただ、全壊せずに旧駅の車寄せのみを残したのは、面影を少しでも残そうという想いからだったのか・・・
2026年、坪内さん撮影
新型コロナウイルスが落ち着きを見せ始めた2022(令和4)年、二代目駅舎も解体され、待合室がついた小さな駅舎が建設されました。この駅舎は、2026年現在も使用されています。
JR備中神代駅は、伯備線と広島へ向かう芸備線の2路線が合流する大事な駅です。

・駅舎とホームを隔てるフェンスそばに旧駅舎の柱の基礎部分の名残を発見。
ホームのこ線橋も両側にあった窓が撤去された。線路を見下ろせなくなった。残念…。(坪内さん撮影)
2・3番ホーム上にあるキロポスト。「72」が表すのは伯備線のはじまる倉敷駅からの距離が「72km」という意味。(坪内さん撮影)
なんと、3番線の草むらの中にもキロポストがあります。「0」と書かれたこの意味はなんでしょう?答えは次の写真をどうぞ!
「0」は芸備線の起点。そう考えたら、芸備線じゃないひとつ前の布原駅に、芸備線の汽車のみが止まるって不思議です。(坪内さん撮影)
偶然出会えた芸備線の汽車!線路の草がたくさん目に入った。いつもならなんとも思わないのに、この日は少しせつない…。
芸備線の線路。枕木は木でできていて、ところどころ朽ちている。う~ん…思わず声が出なかった。

朝8時から30分ほど、上りの貨物列車が待機する。上下のやくも号が通り過ぎたあと、「さぁいくぞ!」と動き出した。
新見寄りにある黒滝踏切にて。ここから果たしてどんな写真が撮れるのか…どきどき。
芸備線16時台の東城行きがディーゼルエンジンのうなりをあげてやってきた!(坪内さん撮影)
神代西踏切では、やくもが車体を揺らしながらやってきた!(坪内さん撮影)
※取材時点の情報です。掲載している情報が変更になっている場合がありますので、詳しくは電話等で事前にご確認ください。