坪内政美×コトコト「 駅からはじまる、ちいさなものがたり― 新見の鉄道、ゆっくり入門 ―」
(更新)
まかぁふしぎな駅です、布原駅は…
ー坪内さんの言葉
一日に数本しか列車が止まらない駅。
なのに、全国から人がやって来る。
この小さな駅には、鉄道好きが胸を熱くする理由がありました。
さて、“摩訶不思議な駅”、布原駅の物語を始めましょう。


6月のある日、新見駅発16:20の汽車に乗りこみました。6分の乗車で、布原駅到着です。
「なに線に乗りましたか?」
坪内さんの問いかけに、「芸備線…?」自信なさげにこたえると、坪内さんはニヤリと笑って言いました。
「布原駅は、伯備線の駅です。でも、伯備線を走る列車は停車しません。停車するのは芸備線の列車です」
え?伯備線の駅なのに、伯備線停まらない??
ほんとだ、Urara(伯備線)がとおりすぎていく…。
下の画像は、JR西日本「お出かけネット」の路線案内図。ここにも、布原駅は芸備線の一員であるかのように表記されています。
「え?あなたは伯備線じゃないの??」

黒で囲ったあたり、布原駅にご注目!
蒸気機関車などの動力車を先頭に3両連結して列車を引っ張る「三重連(さんじゅうれん)」。当時、新見機関区所属のD51形蒸気機関車(通称デゴイチ)が石灰を乗せた貨物列車を牽引する姿は、「D51三重連」として大人気。昭和40年代後半のことです。
この迫力ある姿は、貴重な動画でも残っています。
説明不要!まずは下記の動画を見てほしい!!
さて、動画をご覧いただけましたか?
あの黒煙と迫力を目の前で見たら、心をわしづかみにされるのは当然です。この姿を収めようと、全国から鉄道ファンが押し寄せたそうです。
そして1972年(昭和47年)3月12日の公式ラストランには、約3,000人の鉄道ファン・カメラマンが布原周辺に集結!SNSがない時代のこの盛り上がり、逆にまぶしい。
集まった人の多さに、思わず「ほーーー」と声が出る映像
この映像の中に、あなたの家族、近所の方、いらっしゃるかもしれませんよ。
YouTube「最後のD51三重連」より、一部抜粋。トンネルの周辺にもこんなに人が……!!山肌には無数のカメラ三脚の林が埋め尽くしていたのです!
現在はこんな感じ。木々に覆われた山肌が写っていますが…。
「あれだけの人が集まったんですよ」と語る坪内さんの言葉に、またもや脳内がバグりました。
布原駅と言われていますが、もともとは「布原信号場」という列車の行き違い設備で、便宜的に「仮乗降所」となっていました。
その後1987年国鉄が民営化して「JR」に移管された際、「駅」となりました。これは意外!
そんな布原を移動中、「ここ、見てください!」
坪内さんが立ち止まった先は、古いコンクリートの土台。
私にはただの土台にしか見えません。
「ここに高い信号が立っていたんです。」
「え……これが?」
その瞬間、ただのコンクリートが、急に歴史の一部に見えてきました。
布原駅の信号場の信号は、駅そばに民家があったため、列車から信号が見えるように高い位置に設置されていました。この写真は土台。

当時配られていた鉄道ファン向けの撮影記念証(昭和44年発行)には、当時の信号機の姿が。裏面はなんと貨物列車の通過時刻やけん引機関車形式も記載された撮影用の時刻表。
当時の映像や写真などから、布原駅の歴史ー三重連が走り、多くの鉄道ファンが訪れていたことは分かりました。
しかし今の布原駅に、その面影はありません。実際にその地に足を踏み入れると、過去と今が結びつかず、頭の中の処理が追いつきませんでした。
きっと、布原駅の歴史が壮大すぎて、私の想像をはるかに飛び越えているのでしょう。
布原駅前。今は誰もいないこの道を、草木と風だけが独り占めしていました。
そうか、布原駅は、知れば知るほど、ますます不思議になる駅なのか。
やっぱり、まかぁふしぎな駅―布原駅
布原駅を巡ったあと、坪内さんがおっしゃいました。
「伯備線の駅とは言え、芸備線しかとまらない、乗降客数0人(統計上)の布原駅は、芸備線がなくなると同時になくなる可能性があるんです。」
芸備線再構築協議会で、存続・廃止議論が取り交わされている芸備線。
「芸備線は利用されているか否か」その側面だけではなく、後世に残していきたい鉄道の歴史を知ることも大切なのかもしれません。
とにもかくにも、布原駅が鉄道の歴史に残した足跡は、大きな足跡である事は間違いない…実際訪れてそんな感想を持ったコトコトでした。
もともとは、奥の石の部分のみの小さなホーム。集落民や国鉄職員のための乗降もあったそう。その後、ホームの長さは拡張されました。(坪内さん撮影)
反対側上り線ホームも拡張されています。それでも車両1両分と短い。当時のなごりは真ん中の石積みの部分で見ることができます。
上り線ホームに隠れた信号所時代のホーム。当時のなごりを歩道側からのぞくと階段が。(坪内さん撮影)
布原駅入り口には、一体誰が設置したのか、ブルーのブリキの箱があります。中に入っているのは…。
駅ノート。「新見駅から布原駅まで歩いてきました」の記載も多数あり。歩いてくる人も多いみたい!(坪内さん撮影)
電車の音に即反応!シャッターチャンスはいつも逃さない!そんな坪内さんの後姿を逃さない!
坪内さん撮影。迫力ある新型273系特急やくも!車体をくねらせて中国山地にある小さな布原駅を通り過ぎていきました。

布原駅とつながる沈下橋。車あるいは徒歩など、電車以外の手段で布原駅にたどりつくには、山道を超え、この橋を渡るしかありません。

沈下橋は、もともととても細い橋だったようです。右側はのちに増設された部分。増設前の橋幅が細すぎ…。ここを3,000人が行き来したと考えて、思わず「こわ…」と言ってしまいました。
SL三重連を撮影すべく、対岸の山肌に向かうため、当時は川を渡るか、この鉄橋にある保線用歩道を歩いて渡っていました。今じゃ考えられない…!
鉄橋を下から見上げてみました。観光名所化していた布原SL三重連。当時ハイヒールをはいた女性もここを歩いて渡っていたそうです。
高所恐怖症の人には無理……。
三重連を見上げる人たちのことを想像していると、頭上をやくもが通り過ぎていきました。「お~」思わず出た声。当時の人も「お~」と言っていたのか。
当時大ブームの布原三重連。様々なグッズになりました。こちらはレコード。走る音汽笛の音が収録されています。(すべて坪内さん私物)
筆箱、弁当包み、トランプ、お菓子の包みなど……いろいろなグッズになりすぎ三重連!右端の箱には8mm映像が入っています。(すべて坪内さん私物)
「今、ここにダイナミックステレオ・サウンドで鮮やかに蘇る!」どんな映像なんでしょう、気になります!
「ー日本の鉄道ー雨の布原三重連」
まるで、演歌の曲目になりそうなタイトル。
左)ラストラン記念券
右)記念入場券3枚セット。
個人的には、記念入場券の裏面が胸アツです…。
特に「私のプロフィール」のさみしさよ…。
新見駅前の観光案内所でも、そんな布原駅に出会えます。先に見てから布原駅に行くか、行ってから立ち寄るかはあなた次第。
布原駅のスタンプは観光案内所内に設置しています。1970年代の駅スタンプを復刻したもの。坪内さん寄贈。
当時、布原駅を訪れた人たちも押していたのかと想像してみました。しかし、とてもかわいいデザインだな。駅員さんのデザインなのかな(気になる…)。
観光案内所には、布原駅のジオラマが設置されています。ラストランの様子を忠実に再現!布原SL三重連ジオラマは、一日三回9:17 12:00 15:00と当時の音源とともに運転されます。(坪内さん撮影)
当時の写真。爆煙で走る勇壮な姿は、当時の国鉄鉄道マン命がけのファンサービスだった。(坪内さん所蔵)
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