坪内政美×コトコト「 駅からはじまる、ちいさなものがたり― 新見の鉄道、ゆっくり入門 ―」
(更新)
読みづらい駅名「難読駅」にも挙げられる「石蟹駅(いしがえき)」。
「いしかにえき」「いしがにえき」ではないと知った時、とても驚きました。(「に」はどこに行った~!?)
前回ご紹介した「井倉駅」よりも古い国鉄型の駅舎をもつこの駅には、どんな物語があるのでしょう。
それでは、石蟹駅の物語へ。出発進行~♪

イシガハダイジ
坪内さんが何度も言った呪文のようなこの言葉。
「石蟹は大事!!」いったい何が大事なんだろう?
この駅は「イシガコウリン」が来ます。
“大事”の正体。それは、鉄道の安全を守る“大事”。
そのなかのひとつが「イシガコウリン」。
はて、「イシガコウリン」??コウリンってなんだろう?
初めて聞いたこの言葉の正体は「石蟹工臨」。
工臨(こうりん)とは、工事用臨時列車のこと。線路の保守・工事用資材(レールや砕石など)を運搬する、臨時運行の事業用列車です。
「石蟹工臨」(2026年3月20日撮影)
この日の石蟹工臨は、レールを積んだ「チキ」を両側に「デーテン」と呼ばれるDE10形ディーゼル機関車2両で挟んで運行するという珍しい編成です。
岡山駅を5:35に出発した「石蟹工臨」は、9:00に石蟹駅到着。なんと、3時間25分かかっている!
普通列車で岡山駅から石蟹駅までかかる時間は、1時間40分~50分ぐらいなので…結構時間をかけて走っているんだなぁ。長旅を、ようこそ新見へ。安全のためにありがとう。
「石蟹」という冠がついて「石蟹工臨」と呼ばれているほど、石蟹駅は鉄道の安心を作る大切な駅。
――だから、「イシガハダイジ」
その3日後。線路交換が終わって工臨に乗せている姿をキャッチ。ホームから作業を見えるのも、石蟹駅ならでは。
石蟹駅を語る時に欠かせない、“あの道”にも行きましょう!
石蟹駅を後にし、向かったのは、国道180号を横切る“あの道”。
それは、新見市地域おこし協力隊だった三浦さんも書いてくれている「みんな知っているけど行ったことがない道」のこと!
この道、もともとは井倉駅と石蟹駅をつなぐ鉄道。1983年(昭和58年)7月26日井倉駅 - 石蟹駅間バイパス線開業で経路変更により1.2km短縮。同区間のうち1.4kmが複線化しました。
新しい線路が開通した後、「歩行者自転車専用道路(指定者許可者を除く)」として生まれ変わりました。
そして実は、鉄道だった痕跡があちこちに散らばっている“お宝の道”であります!
国道180号から見える、おなじみの“あの道”。もともと「高梁川第八橋りょう」。高梁川を総社側から8番目にわたる橋梁だそうです。
この日、初めて足を踏み入れた“あの道”。
国道180号を通るたびに見上げながら「あの道は鉄道っぽいのに、なんで電車走ってないのだろう」とずっと疑問に思っていたんです。のちのち、実は道だと知りますが、どうみても、鉄橋じゃん!?の道は、なんとなく手の届かぬ存在でした。
そんな魅惑の道に、初めて足を踏み入れたのでした。
線路の幅から少し横を広げています。陰に隠れていますが、鉄橋の塗装表示・鉄橋銘板がこっそりあります。

塗装表示の上をよく見ると、見えづらいですが、鉄橋銘板(白い矢印の先の部分)が見えます。建造は1928年(昭和3年)です。(坪内さん撮影)
降り立った“あの道”は、普通の道。
だけど、足を進めるごとに、草むらの中や足元が、実は線路だったことを伝えていました。
あの頃はどんな景色があったのだろう。どんな人たちがこの鉄道で行き来していたのだろう。想像を楽しみながら、過去と今が混じりあう道をてくてく歩く。
てくてく歩きながら、「想像できることは幸せなことだ」と思いました。
毎日保線作業をしてくださる方、毎日多くの人を乗せて走る鉄道にかかわる方。鉄道を作ってくれた昔の人たち。歴史がずっとつながってきたことへの感謝とありがたさ。
想像できるから、感謝できるのかもしれないなぁ。
そんな想いを持たせてくれた今日の旅。
ーーやっぱり「イシガハダイジ」
駅舎側下りホームにある国鉄時代からあるホウロウの看板。1点モノでファン垂涎のアイテム!石蟹駅を行きかう列車と、その歴史を長年見守っています。
石蟹駅の建物財産標も発見!信通区とは「信号機」や「転てつ機(ポイント)」、指令所と列車をつなぐ「列車無線」などの電気設備を維持・管理する場所。石蟹駅はそんな役割も持っていました。ダイジ!
線路にも違いあり。奥はコンクリートの枕木。伯備線の鉄道が頻繁に行った来たりするので頑丈に。手前は木の枕木。伯備線が出入りしないためあまり使われておらず、木のまま。
切符売り場と手荷物預かり所(右)のあとが残る石蟹駅舎内。こういう場所があるということは、人の出入りが多かったことを窺えます。切符販売窓口も当時のまま。現在は地元のタクシー会社案内所に。(坪内さん撮影)
駅前を取材中、突然やってきた特急やくも号が通り過ぎていく…すかさずカメラを構える坪内さん。いつ何時も、シャッターチャンスは逃さない!そして私も、その姿を逃さない…!!
今が昔を通り過ぎていくーーそんな物語を勝手に作りたくなる写真(坪内さん撮影)
国鉄からJRに変わった時に発行された記念切符台紙(表紙)。「鬼だらけの里新見」というキャッチフレーズが気になります。坪内さんのコレクションを撮影。
台紙をめくると、3面になっています。左側は「さよなら記念入場券」62-3-31の刻印あり。真ん中は、今では懐かしいテレホンカードがはめられています。
真ん中と右側の部分。右側は「スタートJR西日本記念入場券」62-4-1の刻印あり。国鉄からJRへ民営化してからもう、39年も経つ!
台紙と同じ景色?実は違う景色。
台紙の写真をよく見ると、鉄橋奥に見えるのは石灰工場。井倉の風景でした。同じ景色、現在はないそうです。
同じ景色はこちら!
並べてみると、鉄橋の形・背後の山の感じ…そっくり!当時の人々が見た景色を今同じとこから見ているのかな。
「信号機セットが残っています」
目の前に信号小屋と信号機。昭和46年の日付がありました。気動車時代の特急やくも号も見ていた、貴重な信号機跡。
時代を経て現代にやってきた錆びた信号機とからまる草木。青空が出迎えてくれました。(坪内さん撮影)
国鉄時代の名残、ここにもありました。住宅地内のものもあるので、撮影していないものもありますが、あちこちにお宝が…。
今何キロ地点かを知らせる「キロポスト」や、保線用に使っていた階段の名残も、ところどころに残っています。
山を切り作られた線路。補強で石塁を作っています。国鉄時代の歴史を見てきた石塁は、覆い茂る草木のむこう。
よく見ると、右側が低くなっています。これ、カーブする線路のあと。カーブを曲がっていくSLが見えますか?
“あの道”から現在の伯備線を眺める。歴史は向こうに繋がったのか…!なんだか勝手にしみじみするのでありました。(坪内さん撮影)
※取材時点の情報です。掲載している情報が変更になっている場合がありますので、詳しくは電話等で事前にご確認ください。