坪内政美×コトコト「 駅からはじまる、ちいさなものがたり― 新見の鉄道、ゆっくり入門 ―」
(更新)

さみしい。足立駅を見て思った。
久しぶりに訪れると、駅舎とトイレが取り壊され、跡形もなくなっていた。
駅舎とトイレが取り壊されたのは2025年のことらしい。
一見、なにもないように見える駅だ。どうしてこんなところに駅があるのだろう。
この駅は、ここに必要な駅なんですよ
坪内さんの言葉が、ふと浮かんだ。
カギのひとつは、「石灰」。新見の一大産業のひとつだ。
この駅の近くにある「足立石灰工業株式会社」。石灰石の採掘・加工・販売などを行う会社である。
現在、ここで採掘された石灰は専用トラックで搬出されているが、1970年後半までは足立駅を拠点に、鉄道貨物として姫路の製鉄所へ運ばれていた。
今は駅舎もなくなり、静かに見えるこの駅。かつては、新見の産業が拡がっていく拠点となる駅だったのだ。

線路が交わる向こうに、足立石灰工業までの引き込み線があった(矢印のあたりから延びていたと推測!)。
ふたつめのカギは三重連。
1960年~70年代、国鉄無煙化で全国的に消えゆくSLブームに沸いていたころのこと。
とくに伯備線の「布原信号場(現・布原駅)」には、SLを撮影しようと数年間にわたり大勢の人が集まった。お目当ては、SLが3両連なって走る「布原のSL三重連」。
この三重連に連結するためにSLが集結し、石灰を積んだ貨車をけん引して、怒涛のごとく発車していたのが足立駅だった。
足立駅は、石灰を運ぶ貨物列車を支えるだけでなく、伝説の三重連が生まれる場所でもあったのだ。

「足立駅は、新見の歴史の生き証人ですよ。」
坪内さんがそう語った。足立駅は、新見の産業と三重連を見守ってきた駅。駅舎がなくなった今も、ここには、新見の歴史につながる時間が残っている。
足立石灰工業㈱までの引き込み線イメージ(赤線部分)


写真①よく目を凝らすと、茂みの向こうに柵を発見(写真矢印部分)。実はこれも、引き込み線路跡。

当時の様子が分かる写真を見ると、同じ柵があるのが分かります(写真矢印部分)。昔の引き込み線路と足立石灰工業㈱。(坪内さん所蔵写真)
写真②落合交差点付近。左が伯備線、右側に引き込み線の橋げたがかかっていた。

写真③矢印のあたり。ここから線路が延びていたと思われます。
取り壊し前の、駅舎が残る足立駅(坪内さん提供)
現在の足立駅。こ線橋はキレイになった。
こ線橋を渡り、ホームへ。午後3時ごろだが、山すそにあるため影が落ちていた。
ホームに残るタイル張りの水場跡。当時、蒸気機関車の乗務員さんが、手を洗ったりしていたのかもしれない…。
新見方ホームの端には、不思議と木材がホームに取り付けられていた。これは恐らく留置線の車止め跡か?
すれ違い列車待ち合わせのため使われることもある足立駅。のぼりとくだりが仲良く並ぶこともある(坪内さん提供)
背中を撮るのが好きなコトコト。この日もこっそり撮影です。
うねる線路を見ていると、特急やくもがゆれるのも分かるなぁ……。
駅名を初めて見たとき「あだち」と読んだ。「あしだち」とは初見では読めない…こっそり難解駅名に認定!
15時ごろ、貨物列車が足立石灰工業㈱付近を通過する瞬間を撮影。SLが走っていたころを想像してみるのもオツなものです。(撮影場所:旧足立小学校へ行く道の途中、坪内さん撮影)
新見市内から国道182号へ。阿哲商工会信号を県道8号へ右折。西川と伯備線を跨ぐ橋げたに、蒸気機関車「D51 838号機」のモニュメントが。
同機は現在、井倉洞入り口で静態保存されている(坪内さん撮影)
D51は橋げた両脇に設置。誰が作っていつからなのか…分かりませんでした。知ってる方いたら、ぜひご一報お待ちしてます!
(坪内さん撮影)
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